17.エピソード
17.1 生体肝移植とモーツァルト
私の命が甦られたのは、勿論、医師・看護師の方々や妻・子供達等でありますが、他には、大好きなモーツァルトの音楽があります。
私がモーツァルトの音楽を聴き始めたのは、学生時代でした。(18歳頃だったと思います)クラスで隣の席にいた友人(N君)はクラッシック音楽が大好きで、名曲喫茶に私を連れて行ってくれました。ここで聴いた音楽が、モーツァルトとの本格的な出会いでした。私は小・中学校時代は音楽の時間が大嫌いで、成績も悪かったのですが、しかし、その時に聴いた音楽が、大変気に入ったのを覚えています。ただし、曲名は覚えていません。
その喫茶店の名前は「モナミ」(モナミとはフランス語で「私の友達」と言う意味です)と言い、中にはホール「モザール」(モザールとはモーツァルトのフランス語読みです)がありました。この喫茶店は、今はありませんが、よくN君と通ったものです。この店はリクエストにも答えてくれました。当時はレコードを買う金も無く、本で紹介されたレコードをリクエストしていました。残念ながら最初にリクエストした曲も覚えていませんが、マスター(故鞍 信一氏)が好きだった曲は、モーツァルトのピアノ協奏曲第27番*1だとういうことを教えてもらった事は妙に覚えています。この曲が、私の運命を変えた曲だったと知ったのは、37年後でした。
運命の曲
運命の曲が、モーツァルトのピアノ協奏曲第27番だと書きましたが、当初は、モーツァルトが作った最後のピアノ協奏曲で、ただ単に良い曲だなとしか覚えていません。当時は若かったので、ベートーベンの曲とか勇ましい曲の方が好きだったようです。モーツァルトの曲はと聞かれればトルコ行進曲、アイネ・クライネ・ナハトムジークぐらいかなという時代でした。しかし、音楽を聴くにつれモーツァルトの音楽は、もっともっと幅広く、奥の深いものだと思い始め、楽譜を見てみたくなりましたが、学校時代に大嫌いだった科目だったので楽譜が読めません。もっと勉強しておくべきだったと後悔しても後の祭りです。
今更、勉強もしたくない、そこで、本でも読むかと、安易な方向に走って、またまた後悔するはめとなってしまいました。何か楽器でもやってれば良かったのに…
話は脱線しましたが、ただ、モーツァルト関連の本を読み音楽を聴くにつれモーツァルトの偉大さが、少しづつわかるようになってきました。
モーツァルトのピアノ協奏曲第27番は、有名な短調の20番や24番とは違った音楽であることもわかるようになってきました。もちろん前の2曲はとても好きですが。27番には、なにか違ったものが感じとれるようになってきました。故鞍氏が好きだと言った理由も、少しはわかるようになってきました。
妻と付き合い始めた頃、例のモザールに無理やりつれて行き、クラシック音楽を聞かせましたが、20分も経たないうちに寝てしまうのが常でした。しかし、第27番の時は、”私、この曲好きだわ”と言って、最後まで聴いていたのには驚かされました。この曲の良さが分からないのは自分だけかと思いました。皆さんはどうでしょうか。(そんなの聴いた事ないよいと言われそうです。是非、一度聴いてみて下さい*1)
モーツァルト以外の曲も多く聴きましたが、だんだん病気が進行し、入退院を繰り返すうちに、音楽から遠ざかる日が多くなってきました。生体肝移植手術の前に何か音楽を聴いておきたいと思い聴いたのが、デ・サバタの指揮によるヴェルディのレクイエム*3でした。なぜか大好きなモーツァルトのレクイエム*2ではなかったのです。(ヴェルディも好きですが)
手術後、約2週間くらいはICU(集中治療室)で、生死の境を彷徨していたそうです。妻が医師に夫が好きだったモーツァルトの音楽を聴かせてもいいかお願いをし、CDからモーツァルトのピアノ協奏曲第27番が流れた時から、私は今まで殆ど意識がなかったのに、急にメロディーを口ずさみ始めたらしいそうです。それからは見る見る内に元気になり、意識もはっきりしました。この曲こそ、私の運命を変えた曲、即ち、命を甦らせた曲となったわけです。
*1 K.595 ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 モーツァルト
この曲は、天国的な調べを持つ曲の代表と言えます。なぜなら、この曲は、モーツァルトが亡くなる年の作品であり、天才が去りぎわに残した、最も浮世離れした音楽であるからです。第3楽章の中に同年に作曲された歌曲「春へのあこがれ ♪*4」K.595の旋律が用いられています。この「春へのあこがれ」の歌詞の中には、すみれが咲きみだれ、鳥たちがやって来る、春への強いあこがれが語られ、詩に対する共感が、この心はずむがどこか現実を超越しているような、旋律を生み出したと考えられます。
第1楽章: アレグロ(陽気な, 快活な, 楽しい, 明るい,
(色彩が)鮮やな。)
変ロ長調 4分の4拍子。ソナタ形式。
第2楽章: ラルゲット(ラルゴ(非常にゆっくりと)より、やや速く)
変ホ長調 2分の2拍子。A-B-A’の三部形式。
第3楽章:
アレグロ(第1楽章と同じ)
変ロ長調 8分の6拍子。ロンドの性格を示す、展開部をもたないソナタ形式。
(ロンドとは「回る」という意味であり、ロンド主題がぐるぐる回るように何度も現れることからこの名前がついている)
私は、特に第3楽章が好きですね。
第3楽章ロンド主題
お勧めCD1
演奏:バックハウス 指揮:ベーム ウィーンフィル SLC1821
バックハウス(1894-1981)が70歳を過ぎてからの演奏。
彼はベートーヴェン弾きとして定評がありますが、ここでのモーツァルトは、骨格のしっかりした響きの豊かな明快な演奏となっています。病院で聴いていたのは、このCDです。
カップリングのブラームスのピアノ協奏曲第2番も良いですよ。
お勧めCD2
演奏:カーゾン 指揮:ブリテン イギリス室内O POLC-9417
カーゾンの演奏は人間味あふれ感情の起伏もあります。こちらのCDも良いですよ。
2枚組みのモーツァルトピアノ協奏曲第20・27・26・23・24番が入っているのもあります。
*2 K.626 レクイエム ニ短調 モーツァルト
モーツァルトが「レクイエム」の作曲途中でこの世を去ったのは1791年の事であり、35年の生涯でした。
お勧めCD
指揮:ベーム 演奏:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
CD CC-1066
ゆったりとしたテンポで重厚な印象の演奏はいかにもレクイエムという雰囲気で、60代のべームの円熟味を感じることができます。
「涙ながらの日よ」(ラクリモーサ)の部分は是非聴いてみて下さい。
ドナーである妻への感謝の気持ちを込め、二人で生演奏聴いてきました。(平成17年1月23日)
ウラディーミル・アシュケナージ指揮 NHK交響楽団・神戸市混声合唱団
ソプラノ森麻季 アルト福原寿美枝 テノール望月哲也 バス青戸知
阪神・淡路大震災10年追悼特別演奏会を神戸で聴いてきましたが、CDやTVで聴く音と違い、やはり、生は良いですね。透き通ったソプラノの森麻季さんの声、良かったです。
震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
(平成17年2月6日、NHK教育テレビ「N響アワー」にて、今回の公演が放送されました。また、「N響アワーリクエスト特集」で、移植後に聞いた「レクイエム」の公演の感想を綴った妻の葉書が採用されました)
参考
鞍信一著 「大作曲家と珈琲」 いなほ書房 第5話「楽聖・モーツァトと珈琲と飲み物」より抜粋
・・・1791年12月5日、モーツァトが永眠する直前、彼の好物である珈琲を飲ませてもらったことは、余り知られていない。・・・・愛弟子のジュッスマイヤーを床もとに呼び、「涙ながらの日よ」(ラクリモーサ)を歌わせた時、哀泣するこの楽章に、わっと泣きだし、両手で顔を覆ったということである。そして死期の近づいたモーツァトの床元へ、ジュッスマイヤーが一杯の珈琲を運んできて、・・・恩師の口にすすりこませたのである。・・・死の旅に立つ数時間前のことであったのである。
平成18年(2006)は、命の恩人モーツァルト生誕250周年でした。日本での同時代の人達といえば、伊能忠敬:延享2年(1745)~文政元年(1818)、長谷川平蔵:延享2年(1745)~寛政7年(1795)、喜多川歌麿:宝暦3年(1753)~文化3年(1806)、良寛:宝暦8年(1758)~天保2年(1831)、葛飾北斎:宝暦10年(1760)~嘉永2年(1849)です。ちなみに日本式にいえばモーツァルトは宝暦6年(1756)生まれの寛政3年(1791)没となります。
*3 ヴェルディ レクイエム
お勧めLP・CD
ヴィクトール・デ・サバタ指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団
エリーザベト・シュヴァルツコップ(S), オラリア・ドミンゲス(A),ジュゼッペ・ディ・ステファノ(T), チェーザレ・シエピ(B)
EMI LP:AB-8115-6 CD:OPD-1314 モノーラル HMV 8111049 2枚組
サバタは、じっくりとしたテンポでこの4人の最高の歌唱を引き出している。
ステレオ版ならクラウディオ・アバドの新・旧版がお勧めです。
*4 K.596 春へのあこがれ モーツァルト
お勧めCD
エリ-・アメリング(S)、イェルク・デムス(P) CD TOCE-13299